6/2の氣づき 本来のスピリットを呼び戻す

by keiko

この日は大雨。
だけど、ガーデンについて色々考察したくて、
大雨警報出てる中、
うどん屋とカフェを梯子して
色々mipoと語りあう。

お題はルビーガーデンは何をするところか、のさらなる落とし込み。

すべてはそこにある。ただ、条件が整った時に発芽する

ルビーガーデン(2022年から借りてる農地)では、最初、ウリ科を植えよ、と出てきたので、ズッキーニ、まくわうり、ヘチマ、を植えた。

これらはほったらかしでも芽を出し、花を咲かせ、実ができた。(食べられちゃったりしたけど)

だけど、その後、ルバーブとか、ラベンダーとか、ミツバとか、レモングラスとか、いくつか種植えたのに、全くもって姿が見られず、消えちゃった?ものが多々。

(ミツバはこの後、突如現れた)

雑草生え放題、ひまわり生え放題だった昨年のガーデンからの学びとして大きかったのは、

「すべてはそこに存在しているが、それが条件が整った時に、発芽したり、しっかり成長したりする」

つまり、種がそこにあってお、条件が整ってないと、発芽しないし、

逆に、他の雑草たちにまみれて、そこには何もないように見えていても、条件が整うと、突然、発芽・成長して、その存在を露にするものがある、

それが自然界というか宇宙の法則をとてもよく表しているなぁ、という氣づき。

これは、私たち自身についても言えること。

いろんな才能可能性を持って存在しているが、条件が整った時に、それが表に現れる。今、発揮できてない能力や、現実で思うようにいかないことがあったとしても、条件が整うと花開く。

その条件には存在している環境もあるし、タイミングもある。

そんなことをひしひしと昨年は感じてた。

種だけあってもだめ。そこにスピリットが入ってないと!

じゃ、消えちゃった種たちは、いったいなんで出てこなかったんだろう?

どんな条件が足りなかっただろう?

そんなことを車で移動中に話をしていたら、mipoにふとやってきた単語は「呼び戻し」。

その瞬間、ああ、そういうことね!と全ての情報がパケットになって私に入ってきた感じ!

雑草たちは人間の手にかからず逞しく生きてきてるので、その種の種や茎、根などにその植物のスピリットががっつりと入っていて、そこの生命エネルギーで満ちてるので、ほっておいてもどんどん育つ。条件が整っていれば。

だけど、例えば、ハーブにしても、野菜にしても、結構人間とともに生きてきたので、そのスピリットと生命エネルギーがそのままで満ちてるわけではなくなっている。

なので、種の形はしていても、その本来の植物のスピリットは、呼び戻す、呼び出す、呼び起こす、ということをしないとそこに宿ってないも同然になっている。

その呼び起こし、を私たちが意図的にやることが必要なんじゃないか、と。

ま、普通、こんなことウジャウジャ考えないで種植え、育ってるんだろう。

私たちよりはもっと丁寧に種を撒き、苗を育て、ってみんなやってる(笑)。当たり前に。

その当たり前の中で、育ってねーっていう意識が働いてるので、それが呼び戻し、呼び起こしになってるのかもしれない。

私たちは水もやらない、農薬はもちろん、肥料もやらない。

肥料がない分、よけいに、そのスピリット呼び戻しをしっかりやらないといけないのかも!と。

ハーブはある意味強いんだけど、でも、ハーブの種にはとっても小さいものが多くて、よくもまぁ、あんな繊細な状態からここまで大きくなるわ、というものも多い。

自然の厳しい環境の中で、それらが育つとすれば、とても生命力の強いものとして育つだろうけれど、どうも、種からでは難しいものも多いのかもしれない。

だってハーブ類も私たちが植えて育てるような種類のものって、すっかり人間の手で育てられることがDNAに刻まれててるわけで、いきないポンと自然界のまんまでいいんでしょと放り投げられても、ある意味、人間に世話されなければ育ちません洗脳、みたいなものを受けてるようなもんで。

だから、しっかりと、あなたたちは、これから、自分たちの本質を思い出して、力強く生きていくんだよ、とスピリットを呼び戻してあげないといけないっぽい。

それに加えて、動物にせよ、人間にせよ、赤ちゃんは親にほぼ大切に育てられるように、ハーブ類など繊細な植物はやはり丁寧に扱ってあげないといけないのかもね。

そんなことを改めて思い直した次第。自然のままだからといっても、なにかこちらの意図であの花咲かせたい、なんて思うなら、こちらの意図をしっかりと行動に落とし込まないといけないのだ、ってことですね。

ガーデンは私たちの内面の反映

もう一つ、ガーデン作業しながら面白いなと思ってることは、ガーデンはもろに私たちの内面が反映される世界だなってこと。

これは、ガーデンでなくって普通の現実世界もそうなんだけど。

私たちの意識のことについて、上記の事象で教えてくれてるように受け取れる。

私たちの意識はある方向性に向けて、ある種方向づけられ、洗脳され、一定方向に向けて思考する癖がつけられている。それはかなりの制限をかけられている状態。本来の自由な意識・思考、個性のある思考の状態ではなく、均質化の方向へ。

普段はそれに氣づきもしないくらいにその思考ルートの中にいるんだけど、それだと、私たちの個にスピリットが入ってない状態。植物でいえば、種の外側の見えかけ、人間でいえば、肉体、をまとっているけれど、中にちゃんと本来のスピリットが生き生きできてる状態かどうか、そこが、今、呼び戻し、呼び起こし、を求めてる。

それをこのルビーガーデンから見せてもらってるんだ!というひらめき!

私たちは人間としてこれまでも生きてきたし、今も生きている。でも、本当の誕生は実は、これからなのかも、とも。

だって今までは、まだまだ飼い慣らされた金太郎飴のような人間の皮の中で、ほそぼそがスピリットが生きてるような状態だったんだから、本当の発芽はしてなかったのかも。

そんな生み出しの時期は、すべての可能性を含んでる状態。すべての密度が含まれている状態。言い換えるとゼロ密度。(ゼロは何もない、じゃなくて、全てを含んでる)。

それゆえ、どんな可能性もある。そのゼロ密度のすべての可能性がある中で、ただ、パーンって放り投げると、ある意味、どうにでもなっちゃうので、そのゼロ密度の可能性の時期はとても丁寧に意識を向ける必要があるんじゃないかと。

どのように接するかによって開花の仕方やあり方が変わってくる。

既にある無限のルートに
特定の意図・意識をめぐらすことで
毛細血管・毛細管のように
意識をめぐらすと
3次元に顕在化する。

ほんとは既にルートは用意されてるんだけど、
長らく使ってないと錆びてるから、
意識でそこを通していくことで、顕現へのエネルギーが動く。

ほったらかしでもそれなりが出てくる。作業だけに没頭することもできる。これ簡単。やり甲斐感じられて、達成感で満たされるから。でも、作業にだけ没頭すると、どう接して、何を開花したかったのか、その繊細な方向性というか、どの領域を開いていきたいのか、が抜け落ちる。

このところずっとルビーガーデンについて、どうしたらいいのか、とにかく話をしないといけないっていう強迫観念にも似たものを私は感じていたんだけど、ここへの氣づきを引き出す必要があったっぽい。

丁寧に意識のすり合わせをし、どんな領域を開いていきたいのか、想いをめぐらせ、話し合い、すり合わせる時間が必要。

それを共同創造の仲間に投げかけ、そしてすり合わせをし、方向性を確認し、丁寧に意識を向けながら、丁寧に一つひとつの種にすでに備わっているスピリットを呼び起こす。

ガーデンの話であり、そして私たち自身の内面の世界の話でもある。

今、時代の変遷の超真っ只中。ある意味、ゼロ密度。すべての可能性がここにあって、どちらへ転ぶかわからない中、丁寧に、自分の方向性を確認し、自分の中にすでに備わっているスピリットを呼び起こす。

今、私だけでなく、全ての人がそんな作業を日々促されているのかもしれない。

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